この3連休、別界隈の現場に行っていた。楽しかった。連休明けの仕事って誰がやる気あるんだろうか、みんなでお昼寝しようや
すでにサークルでもツイートしたが、印象深い体験が多かったのでこちらにも3日間の話を書いていく。
10/7
13:00。歯医者でこどもが泣いていた。院内に置いてあるガチャガチャがやりたかったらしい。前後の文脈が分からないが、
「お母さんのお金でやりたかったーー!!!!」と泣き叫んでいたので思わず笑いそうになった。ヒモのエリート?
それはさておき、今日は舞台を観に行った。スリルミーという演目で、演者2人とピアニストによって構成されるサイコスリラーミュージカル。サイコスリラーと聞いて大丈夫か私....と不安だったが全く問題なかった(生粋のハピエン警察)
歯医者でなかなか呼ばれなかったことから予定より大幅に遅れてブリーゼブリーゼに到着。今回声をかけてくれたフォロワーと合流し、諸々話をしてから入場した。遅くなってすみませんでした....
ブリーゼブリーゼは初めて行った。2階席前方だったので前の柵が邪魔かも....とフォロワーと話していたが、比較的問題なく観れた。1回だけ観るなら引きで観た方が良いかも!とのことだったが、まさにその通りだった。信頼。
途中で自分のお腹が鳴って死にそうになるなどしたが、本編も終始面白く観た。
私役の松岡広大さん、彼役の山崎大輝さんは今回の舞台で初めて拝見した。初めては一度きりなので印象を書いておく。
松岡さん(私):チャーミングなかわいさ。そして怖い。彼に対してストレートに「会いたかった」と言えてしまうのはアニメ的なコミカルさをコーティングしているからで、初めはそれが演技だったとしても性根にまで染み付いていったんだろうな....というバックボーンまで勝手に想像してしまった。若者の時の回想と35年後の初老男性を行ったり来たりする役なのだが、35年後の松岡さんは声だけでなくシワが増え、目が窪むので驚いた。
山崎さん(彼):まあまあ私に対して酷いし全然超人ではないけど("彼"は自分のことを超人だと思っている)、なぜか信じてみようかと思ってしまう。"私"とは対照的にすべてが回想シーンだから、余計にきらきらとしているのかもしれない。"私"の中で1番鮮やかな記憶だから。何か思いついた時のはしゃぎ具合が異常ながらも、この姿を自分だけに見せていると思っちゃうとたまらないんだろうな〜階段に腰掛けた時に思ったけど山崎さんは骨がかっこいいんだよね...."私"が好きになるのも分かる。
この作品を見て思い浮かんだ単語は「試し」「共依存」「所有」「信仰」だった。
"私"は"彼"という最小単位の信仰対象を見つけたし、"彼"は"私"という絶対を見つけた。そこまでならめちゃくちゃ幸せだったのにな....と悔やまずにはいられないが、根本が危うかったからどうしようも無かったのかもしれない。
10/8
8号車(超特急のファンのこと)の友人とともに超特急のフリラに行った。場所はららぽーと堺。免許のない人間にまるで優しくない場所にあるのだが、なぜか友人の母が行き帰りともに車を出してくれた。本当になぜ?ありがとうございます。
優先エリアの抽選に外れた人たちは開店直後から場所を取る。荷物で場所取りは駄目だが、人がそこにいる分には問題ないようだ。ここら辺の解釈は人それぞれらしく、Twitterにはオタクが色々言っているツイートが溢れていた。
頭数が増えたら昼食や飲み物の調達の時などに良いかと思い同行したのだが、一度場所を取るとなかなか身動きが取れなかった。ちなみに我々が現地に到着したのは9時。開店は10時、ライブ開始は16時である。
全く時間が進まないあの感覚は、短期の工場バイトを思い出す。ただ今思い返すと意外と6時間って待てるんだな〜という感想になるので、喉元過ぎればなんとやらという感じ。
友人とその相互の方、相互の方の友人、私という明らかに部外者が混ざり込んだ構成で待っていた。話を聞いているだけだったが楽しかった。どの界隈でもオタクは色々あるし、怒っている時語彙がキレキレに研ぎ澄まされる感じは聞いていてかなり心地良い。
ライブは40分ほど開催してトークコーナー+6曲というなかなかしっかりめの構成だったのだが、2階からだとMCは聞こえないわ友人たちが「ららぽーとであの曲やったらまずい」と言っていた曲がことごとく披露されていくわ横の人が踊ったり手で払ったりするたびに長い髪がバシバシ当たるわで何これ?と笑いそうになった。
友人は今回のフリラが不完全燃焼だったようで、次はちゃんとしたコンサートに来て!と言ってくれた。どうやら次があるらしい。やったね
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ブログの閲覧数が多かった日は注目記事順位(どうやって付けてるのは不明)を確認している。なんとなく変動があると読んでもらえたっぽいなということが分かって嬉しい。
承認欲求という言葉が醜さを伴い始めてから久しいが、最近はそこまで忌み嫌わなくても良いかもと思い始めている。この話はまたおいおい書きたい。
この心境の変化は私という人間が成熟したわけでも進化したわけでもなく、代謝みたいなものだと思っている。
自分の意図しないところで、また異なる考え方や捉え方が生まれては剥がれていくのだろう。