1月の三連休の話

2024年は三連休がたくさんあるらしい。

休みの日は何をしてるのかと聞かれるとそれは本当に私も知りたい...となるので元気があればこれからも残していきたい。と言いつつも3日目の記憶はありません。

 

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あべのキューズモールにDXTEENが来るらしいという情報を前日夜に得る。これは親から聞いたのだが、どうやってこういう情報を仕入れているのだろうか。行けたら行ってみるわと答える。

行けたら行くわ=行かないとみなされがちだが、私の行けたら行くは本当に額面通りの意味なので行ってきた。本当に行ったんだ!?と親が驚いていた。

 

イベントは2部制。早起きできたら1部で寝坊したら2部、という計画的なのか無計画なのか分からない想定をしていたが、無事8時台に起床。1部を観に天王寺へ向かう。

1部は13時開演で、12:30頃に到着した。30分前到着だが、場所を選べばちゃんと見えそうだった。あべのキューズモールのイベントスペースは屋外吹き抜け形式なので、上の階から観ることに。隣にいたNICOの方がカンペやネイルチップを準備していた。この距離でカンペとか見えるのか...?DXTEENのみなさんは視力が良いのか....?などと思っていたが、ミニライブ終了後にある特典会用に準備していたらしい。日本語のネームボードを沢山見るのは初めてだったので新鮮だった。どことなく迫力がある。

 

ミニライブは撮影可能曲1曲+トーク+ミニコーナー+撮影不可曲1曲という構成。GALAXYの屋外撮影が試せたので助かる。みんな軽やかなパフォーマンスでうまい。特にタイトル曲が良かった。

タイトル曲良い〜

ちなみに寺尾くんは20歳になったのでお年玉をもらう側から渡す側になったらしい。私はあなたより年上ですがお年玉をもらっています。

 

あべのキューズモールにはシルバニア直営店があるので見てみたところ、スペース自体はそこまで広くないものの品揃えが良い。魅力的なものが多く10分〜20分迷ったが結局何も買わなかった。早いうちに部屋を整理してシルバニアたちを迎える体制を整えたい。

 

 

少し移動して向かったのは中之島美術館。

建物の前はよく通るのだが、実際に行ったのは今回が初めてだった。階段を登った先に出で立つ黒い箱のようなそれは、はたから眺めると少し浮かんでいるように見える。

 

今回の目当てはテート美術館展。イギリス・テート美術館に所蔵されている作品から、光をテーマに厳選された作品が日本に届けられた。(2024.1.14まで開催されていた)

https://tate2023.exhn.jp

キービジュアルとなっていた「ジョン・ブレット《ドーセットシャーの崖から見るイギリス海峡1871年」が透けるように綺麗で、観に行くことを決めた。

f:id:amefuriskipsan:20240204141534j:imagePhoto: Tate

 

美術館に行くのは好きだ。作品はもちろんのこと、私はキャプションに書かれている解説文が好きで見に行く。どの展示に行っても、作品を紹介するときの文章というのは洗練されていて美しい。何か作法があるのだろうか、愛がある故の距離を感じる。

完全に蛇足だが、 CinemaブログとWAVEブログを書く時は美術館の解説文を意識しながら書いていた。

 

 

クロード・モネ《エプト川のポプラ並木》1891年」という作品について、解説文だったか音声ガイドだったかでこんな話を知った。

この絵は数枚あるポプラ並木を描いた連作のうちの一枚で、モネは一定の時間を過ぎると場所を変えて別の絵を描いたらしい。風景は、時刻や天候がもたらす風や光によって完成するからだ。一瞬の風景を一枚の絵に残すために、移ろう景色と共に自分が動く、そういった手法でこの作品は形になった。

f:id:amefuriskipsan:20240204141618j:imagePhoto: Tate

 

当たり前にそこにあるので意識していなかったが、どの時代にも光は存在し、どの時代も画家はその表し方を模索していた。闇を濃く描くのか、その光は何色か。私は何も描かないが、この日を境に私の目は光を探そうとよく働くようになった。

 

 

 

1/7

初詣に行った。地元の神社で、距離はあるものの歩いて行ける。大きな神社に行こうとすると、親が着いてこようとするのでやめた。

 

数年前まで神社に行くにははかなり遠回りする必要があったのだが、竹林に道ができたことで直線距離で向かえるようになった。小さい頃からこの竹林をかき分ければ早いのに、とずっと思っていたが、もうその必要は無くなった。整えられた道を悠々と歩く。

 

それまで竹林は道を阻むものという認識だったので、植物というよりは壁という感覚だった。

しかし竹林の中を歩いて見ると、その柔らかさに驚く。しなる竹とシャラシャラと鳴る葉は、話し始めても不思議ではないほど生きたものだった。

 

そして、その葉は夕方の光を含みながら輝いていた。

 

昨日見たあの文章とは、あの作品とは、こういうことか。冷たい空気は一層澄み、空はいつもより高く広く感じる。

 

写真に収めようと思ったが、その時感じたものは何も残せなかった。画家や写真家はどれだけこの無力さを感じるのだろうか。

 

私は未練がましく文章にしたが、彼ら彼女らもまた足掻いていたのだろう。